ニューヨークに住んでいた2000年代に、突然頭に降ってきたイメージがあります。

それは、一休さんが、ニューヨークに舞い降りてきて、SMクラブに通い、そこにいたサディスティックでしこたま美人のレイテックス女性二人と仲良くなり、パフォーマンスグループを組んだ。神出鬼没にニューヨークの至る所に現れ、パフォーマンスを繰り広げ、人々に悟りとインスピレーションを与える、というものです。
当時、このイメージにハマってあり合わせのソフトなどで音楽もいくつか制作し、イメージの湧くままに、衣装や、レイテックスダンサーのデッサンや、ジャケットのイメージなどもデザインしました。その後、残念ながらニューヨークから出ることになり、この天から降ってきた一休さんを実現することは叶いませんでした。
そのイメージが、ここサンフランシスコで最近実現したい欲望となって強く蘇ってきたんです。
ここで、なぜ一休さんなのか、と思う方もいると思うので、少し経緯を説明しましょう。
ちなみに、僕が生まれて一番最初に完読した漫画以外の書物は、「一休さん」でした。その一休さんは、僕らの多くにある「トンチンカンチン」の子供の頓智一休だけではなく、成人してからの奇特な僕らの知らない一休さんの変態ぶり満載の偉人伝だったのです。そのいくつかを簡単にお話しします。
ある日、地主さんの一周忌に村の人たちが集まって、近くのお寺に一休という偉いお坊さんが来たから、是非とも来てもらってありがたいお経を唱えてもらおうと一休和尚に頼んだ、と。一周忌の当日になって、村の人たちが亡くなった地主さんのお墓の前に集まっていると、一休さんがのこのこ現れた。で、お墓の前までやってくると、一瞬立ち止まって、その着ていいた着物の前を開けて、そのお墓に向かって小便をした。と。。。
このとき僕の悟りも一つ開けて、ガツーンて感じだったのですが、この話はこの先にさらに落ちるのです。
で、小便をかけて一休さんは何も言わずくるりと振り返ってノコノコ帰って行ったと、で、周りにいた村の人たちは、一瞬唖然としたけれども「えらい坊さんがしてくれたことなのだからきっとありがたいことなのだ」と、「ありがたやー」といいながら去っていく一休さんの後ろ姿に両手を合わせて感謝したと。
で、小学生の僕は骨の芯から笑いが止まらず、同時に「これだ」と思った記憶があります。
また、一休さんは、当時禅界では、タブーとされていた「セックス」を真っ向から肯定した唯一無二の禅僧でもあります。ゲイも、同性愛者も、売春婦もセックスを通して悟りは深まるものなのだと。そして彼の逸話の中に、彼が遊郭のパトロンであり、そこに寝泊まりし、豪遊するばかりか、遊女を囲い込んで乱交パーティーまがいのことをしていたということです。これを知った少年よこたしんやは、どれほど驚いたことか。坊さん=遊郭のパトロン=乱交パーティー、この繋がりと、破天荒さにそれまでになかった「自由」を感じたのを今でも覚えています。
これで、多少はなぜ僕に降ってきた一休さんがニューヨークのSMクラブに浸り、レイテックスの女性と一緒にバンドを組んだのかがお分かりいただけるのではないでしょうか。
現在、過去の失ったスケッチや、音楽などを補強しながらプロポーザルを制作しています。出来上がった時点で、いくつかのチャンネルからクリエーターの方々などを初め多くの興味を持っていただけそうな方へ発信し、クリエイター、パトロン、スポンサーとして一緒に現実化していただける方々を募っていきたいと思います。