自然と、太極拳

「自然」という言葉は「自然に生きる」「自然でいる」「自然と一体となって」などと、言葉では多用されていますが、それがどういうことなのかを少し掘り下げてみたいと思います。

白隠という禅僧を皆さんはご存知かと思います。彼の逸話の中にこんなのがあったのを覚えています。「ある日、女が赤ん坊を抱いて禅寺を訪ねてきた。そしてこの赤子はお前の子供だから引き取ってくれと怒るようにして言った。白隠は、全く見覚えがなかったが、『そうか。そうか。承知した』と言って、その赤ん坊を引き取った。1、2年経って、同じ女性が再度やってきた。そして、その子は私の子供だから返してくれ、と怒鳴った。白隠は『そうか、そうか。承知した』と言って何事もなかったようにその子をその女に返した」

まさしく「あるがまま」成り行きに逆らわない。作為を施さない。

禅は、道教に根を持っているために道教の根本的な考えに大変よく似ています。それは、やはり「自然」であり、頭で意図しない「無作為」がタオに逆らわずに生きることだということです。更に言うなら、インドのベーダンタがいう、「花は何もせずに美しい花を咲かせ、鳥は一生懸命にならずとも空を悠々と飛ぶ」というところにも通じていると感じます。

最近この「自然」を、太極拳の中で多々遭遇しています。太極拳の中で、最初最も重要なことは、身体の骨、筋、腱といったストラクチャーの調整です。なので、体を最もニュートラルに保つスタンスである「無極」(Wuji)という直立スタンスに時間をかけます。ボディーワークの多くに、エネルギーを創造したり、意図的に体勢を変えて矯正を促すものがありますが、この「無極スタンス」は、要約すれば、リラックスして重力に身を任せることによって、身体は自然と本来の姿に矯正される、というもので、想像や、意図をせずに、ただ意識を身体に向けるのみ。まさしく無作為が最も効果を上げると言う考えです。

また、もう一つ太極拳の「推手」という練習法は、相手の神経系と自分のそれをシンクさせ、一つになって相手を自分の一部のように操作する訓練、ということになります。これは、他人を自分にして一(いち)にするということで、これまた自然(Oneness)を体現しているなと実感しました。

詰まるところ、太極拳は道教の「自然に生きること」を身体で体現したものなのです。

**正しく無極スタンスを行うことによって、背骨の矯正、精神を落ち着かせる、氣を沈める(文字通り氣を体の下の方へと落とす)などの効果が期待できます。

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