あなたは、ぼくが見ていなければ存在しない

今、消化機能向上シリーズのビデオを作っているので、その合間に全く関係ない、過去の旅行中の話をちょっとしてみます。

以前ネパールに旅行をした際、チベット仏教のリトリートに参加しました。毎日、瞑想などの合間に、外に置かれたテーブルでお茶を飲みながらラマ(日本語でいうと和尚、って感じでしょうか)と一対一で対話する時間があり、ぼくのような常識的な頭の持ち主には腑に落ちない話ばかりで考えさせられたのですが、その中に本堂の仏像のついての問答がありました。

問答は外のテーブルで行われたので、本堂の仏像はその時見えません。どんな話の流れだかはうろ覚えですが、ラマは、「本堂の仏像は今あるかないかわかりません」というようなことを言いました。私は、「まあでも、あそこにあったんだから今もありますよね」というと、「いや、チベット仏教ではあるかないかわからない、ないかもしれないということになっている」という答えでした。私の心はとてつもなくでかい「?」に支配されましたが、禅問答のようなものかと受け止め、そこはだまってスルーした記憶があります。

のちに「量子力学」の本を読んでいると、この話とまったく同じことが書かれていました。量子力学はアインシュタインがマクロの宇宙を相対性理論で紐解いたのに対して、原子より微小な、電子、光子といった素粒子の世界を紐解いた学問です。驚いたことにこの量子力学ではこのチベット仏教ラマの話と同様に、見ていないものはそこにあるかないかわからないという考えが主流となっています例えばあなたが無我夢中で愛しているパートナーはあなたが見ていない時に何をしているわからない(笑 というにも増して存在しているか否かも曖昧らしいのです。(笑 

常識にはそぐわない話ですが、これは、原子の中にある素粒子、例えば電子といったものが見ていないときには粒子としてでなく広がった波として存在し、見た途端に粒子となる「波」と「粒子」との両方の性質を併せ持っていることが明らかにされているからで、見ていない時には実体として存在しているかどうかわからない。換言すれば、ぼくらが今まで客観的な物体として認識していた物質は実際全て主観的で、「リアリティーは観測者の行為に依存する」ということになります。

砕けて言えば、目の前にある現実は、それを見る当人に大きく影響を受けている、さらにいうと、現実はあなたが作っている、あなたが見たいように見ているということになりえます。この「見たいように、見ている」というところが難しいのでしょう。なぜなら、ほとんどの人は自分が本当に「見たい」ことが理解できているようには見えないからです。これが潜在意識というやつで、そこには、恐怖とか、無意識とか、昔からの思考パターンとかが複雑にからんでいます。ですので究極的には「本当の自分を知る」ことが見たいことを知る=なぜその現実を見ているのかわかる、ことになるのかもしれません。

近年流行った「引き寄せの法則」もここを説いているのだと思うのです。般若心経の「色即是空、空即是色」的な考え、唯識論、さまざまな神秘学に共通する物質観が量子の世界で同様な世界観をもって証明されているということを意識した上で世界をもう一度見回すと、かなりの既存概念を克服せざるをえないことに気づきます。こういった世界観が加速的に人々の意識に浸透していく今、ゆっくりとですが、まさに世界が大きくシフトしていると言えるでしょう。

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