日本人に知って欲しいこと その2

日本人は、僕の望みだ。

正直世界でも有数の美しい人間たちだと思う。容姿も美しいが、心が美しと感じる。無垢だ。穢れのない美しさを感じる。美しい人間性を救ってくれるのは日本人しかいないと信じている。

もちろん中には薄汚い考えを持つ人たちもいるだろう。悪党や、チンピラもいるだろう。だが、東京のあちこちを歩く蟻山のような数の人たちの、どの人に「すみません」と声をかけようとその人は、何の構えも、不安も、恐れも無しに「はい」と答えて立ち止まり、あなたの話すことを聞いてくれる。

僕は東京で無数の知らない人に道で、駅で、お店で質問をしたが、皆が無垢なオーラでこちらを向く。そこには、疑いの目も仕草もなく、すみませんと声をかけただけでその人とのコネクションが生まれるのを感じることができた。

驚くかもしれないが、僕はアメリカでこんな感覚を体験したことはない。フレンドリーなアメリカ人は、声を掛ければもちろん笑顔で立ち止まる。だが、心のどこかに警戒心が渦巻いているのがわかる。僕の見かけがゴツいからではない。僕がアジア人だからでも恐らくないだろう。彼らは壁を持っているからだ。犯罪の多いアメリカだから無理もないが、アメリカ人のフレンドリーさ、スマイルは、一種自衛の策だ。笑えば襲われる確率は低くなる。

こんな日本人を「平和ボケ」と片づける人もいるが、その平和は当の日本人が作ったものだということを忘れてはならないと思う。人間、平和が一番なのだ。上野の不忍の池でアヒルが子供を産んだことが、テレビのニュースで報道されるような国は他にはないのだ。

話は変わるが、今回は娘の野球トーナメントで来日したということもあって、プロアマ含めて野球の試合を多く見た。そこで感じたのは、日本と、アメリカの大きな違いは、日本が真に「チームワーク」できることだ。日本人は、「バント」をする。いわゆる、「犠打」である。犠牲になって、チームを有利にする。このバントが圧倒的に多い。

アメリカ野球で、「バント」はしない、いや、させることがなかなかできない。それは、一人一人の野球選手がむちゃくちゃプライドを持ってプレーしているからである。よく言えば、「プライド」悪く言えば「エゴ」が満載なのだ。

誰もこんなことは言わないが、アメリカ人の野手が派手で、無駄な動きをするのも掘り下げればこれはエゴだと思う。日本選手は自分を犠牲にして、チームに貢献することも美しいプレーであると考えているように見える。

今はどうか知らないが、二番打者はかつてバントがうまく、ベースに出た一番打者をバントで送る選手、というのがお決まりだった。そんなのは、アメリカでは考えられない。内野手にも、カッコつけようなんて思いがないから全く無駄な動きがない。結局野球は、チームゲームなので、娘のトーナメントでも、WBCでも日本はアメリカに勝てたのだ。決して大谷だけではない。そして、これは、野球だけに限らず、往々にして一般的な日本人の持つ美的感覚だろう。

書いていて思ったが、僕が今回日本人に美しさを感じたのは、「エゴレス」が大きく影響しているような気がしてきた。己を捨てて他に貢献することは、大昔からの日本人の美徳ではなかったか。

エゴのない、美しさ、優しさ、細やかさ。こういう繊細な美しさは、本当に今世界で稀なのだ。こういうものに漬け込む奴も多いが、そいつは人間として正にカス中のカスだ。

表面的なアメリカを見て憧れるのは、もうやめて、日本人は是非とも自分達の美しさを自覚して欲しい。

僕も日本人の一人として、アメリカでもそんなクオリティーを失わないように生きていきたいと強く思った。

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