女子野球ワールドカップに見た日本

今日は、健康から全く離れた話です。女子野球ワールドカップで感じたこと。

僕の娘は5歳の時から硬式野球を始め、16歳になった今も唯一の女子として高校の野球チームでレギュラーとしてプレーしている。その関連もあって、僕は女子野球に関わり続けている。ことにアメリカでは、女子野球は日本のように開けていなくて、多くの女子が14歳になって、高校になるとソフトボールに移行せざるを得ない。野球を続けたくても、チームの監督に断られるという状況も平然と起こる。男女平等が最も進んでいるはずのアメリカで、女子野球界だけはとんでもなく遅れているのだ。

先週は女子野球ワールドカップがカナダのサンダーベイで開催され、優勝決定戦で日本がアメリカを大差で破り、堂々7連覇を成し遂げた。まさしく快挙だった。アメリカは、日本と対戦するまで幾つかのコールドゲームも含めて大勝し続けていたので、僕も今年のアメリカは手強いと感じた。案の定、日本との前哨戦でアメリカは、接戦で最後日本チームピッチャーのボークで決勝点を入れ、日本の12年にわたる39連勝を3対4でストップさせた。

だが、優勝決定戦では誰も予想できなかった展開となり、5回表には10対1、アメリカの反撃も届かず最終的に11対6で日本が快勝し金メダルに輝いた。

アメリカがこれだけスター選手を連ねながら日本チームに勝てない理由は戦略的に「バント」というアートを日本が極めていることにあったと見ることができる。日本が大差をつけたのは、一死満塁からスクイーズをし続け、アメリカはエラー続出で打者をもアウトにできず、日本に4点をスクイーズの連続で許してしまった。

アメリカはなぜバントをしないのか?日本はなぜにバントができるのか?

バントは、日本語では「犠打」という。文字通り、自分を犠牲にして得点を導き出す策だ。日本は、先頭打者がヒットで一塁に出れば、必ずバントでランナーを2塁に進め着実に点を得ようとする。アメリカではプロ野球も含めてそんなことは絶対にしない。日本がバントという策を使って攻めてくることはアメリカも承知であったろうにもかかわらず、アメリカはバントに手こずり「犠打」を安打にしまくってしまった。

アメリカ野球に犠打といえるバントがほぼ皆無であるのは、文化的に「犠牲」が美徳とされていいないからだと僕は見る。それは、各自のプライドと個性を尊重する文化にあるのではないだろうか。

アメリカという国は、黙っていれば人に潰される。少なくとも無意識にそう生きている人たちが多く見受けられる。みんなが「ME, ME, ME (オレ、オレ、オレ)」というお国柄だ。これにはポジティブな部分、ネガティブな部分があって、決して良い悪いではない。個人が個性的でいること、他人を押し除けて自分を言い張ることが普通の文化なのだ。アメリカに比べれば、日本には「自分」がほとんど皆無と言っても過言ではないと僕は思う。

元MLB選手のイチローも言っていたが、彼はアメリカでチームが一丸となってシーズンを迎えるなどと感じたことは、一度もなかったそうだ。彼が唯一チームが一丸となって戦い抜いたと感じるのは、WBCの日本チームでプレーした時だけだったそうだ。

ちなみに、今回の女子野球世界大会で、日米両国の監督が口を揃えて「(決勝戦では)自分よりもチームを優先させること」が大事だ、と言っていたが、日本チームとアメリカチームが言うそれは、同じ言葉でも全くレベルが出発点から違うのだ。

昔から、主君に準じた切腹とか、天皇のために死ねる神風とか、お家継続のために嫁いだり、国や主君や他人のために自分を犠牲にすることが美しいとされてきた日本という国が、チームのために自分が犠打を放つことは当たり前であり、痛くも痒くも悔しくもない。それは素晴らしいことなのだ。

この「自分」の希薄さが、野球ではバントという戦略として存分に発揮できる。そして、このバントをアートにまで昇華させたのが日本の野球だと僕は思う。

このバントがある限り、他にこの犠牲のアートに取り組む国が現れない限り、日本はこれからも勝ち続けるだろう。

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